虫の息ブログ

生きているだけで、虫の息

糞尿の底に落とされた富安健一という男にまつわる絶望の記録

はじめに

 

16年前の事件を今でも昨日のことのようにはっきりと覚えている。SNSが普及しはじめたことを機に、私はフリーの記者として活動をはじめようとしていた。フリーの記者といえば聞こえがいいが、自称としても呼称としても、本来の自分とは乖離したような漠然とした所在のなさが常にあったのだが、16年前の事件を追う最中に、はじめて「プロ野次馬」と呼ばれたときには、まさかこれほど正鵠をついたふさわしい呼称があったかと思い、全身が震えたこともはっきりと覚えている。いささか大袈裟に聞こえるかもしれないが、それまで実体の伴わなかった私の実存に、加減のない光を当てられた感覚に近い。私は幸運だった。人は概ね事件現場に残るチョーク痕のようにしか、自らの実存を自己にも社会にも示せないものなのだから。以来、私の名刺にはしっかりと「プロ野次馬」と刻まれ続けている。

 

富安という男を覚えておられる方はいるだろうか。

当時から私は存在する限りのあらゆる匿名掲示板をウォッチしていたのだが、とある匿名掲示板に現れた富安という男の書き込みに興味をそそられた。もちろんその段階でこれが事件であると認識したのはおそらく私くらいのものであっただろう。とうぜん事件の全容どころの話ではないし、人によっては事件の尻尾すら見えなかっただろう。しかし私だけは、事件の全貌がはっきりと見えたという感覚を持つことができた。

 

富安の書き込みと、それに対する有用な返答のみを些か恣意的な抜粋になるがここに記す。

富安「何年も糞貯めの底にいてどうやら出られそうもない」

匿名「奇遇だな。俺もだ」

富安「これは比喩ではなく、事実だ」

匿名「どのくらいそこにいるんだ?」

富安「分からないんだ。とにかくずっと糞貯めにいるし、俺は糞貯めで死ぬことになる」

匿名「糞尿を食べて生活しているのか?」

匿名「人は糞尿だけで何年も生きられないよ」

富安「情けないが実際、俺は死ねずにこうして生きているんだ」

匿名「糞尿生活の生き字引きという訳だな」

匿名「閉じ込められたのか?」

富安「そうだ」

匿名「諦めないで、助けを呼べよ」

富安「汲み取り業者と目があったこともある。助けを求めたが黙殺された。俺が糞貯めの中にいることはおそらく暗黙の了解なんだ。とにかくこうして誰かと話ができてうれしい」

匿名「なんで今まで書き込みしなかった?」

富安「ついさっき携帯が落ちてきたからな」

匿名「随分余裕があるように見える。普通はもっと必死にならないか?」

匿名「というかまず110番しろよ」

富安「電波がたってない。俺自身ここがどこなのか分からないから、助かることは無理だ。それより死ぬ前にこうして人間的なことができてうれしいんだ」

匿名「なにかできることがあるかもしれない。もっと詳しい情報をくれ」

富安「名前は富安健一。糞貯めの外にいたときには22歳だった。兵庫県出身。めっぽう足が速い。兵庫県大会の記録を更新したことがある」

私 「携帯の電池を無駄にしないほうがいい。もしかしたら助けられるかもしれない」

富安「希望を持たせるのはやめてくれ。怖くなるだろ」

私 「充電はどれくらいある?携帯の番号は?書いたらすぐ電源を切るんだ」

富安「1メモリくらい減っている。090-○○○○-○○○○期待していいのか?」

私 「とにかく今すぐ電源を切るんだ」

 

最後の数件の書き込みは私だ。私は富安を知っていた。足の速い男の部屋というホームページが開設されたのは、さらに三年ほど前だっただろうか。暴力団構成員を罵倒して逃げ、距離をとると尻を見せて叩いてまた逃げるという悪ふざけを、たくさんの写メと、それぞれに付随する短い文章という形で表現していた。数日続いた更新だったが、以後一切の音沙汰がなくなり、やがてホームページも消えた。とうぜん殺されたのだろうと界隈では噂されていた。まさか糞貯めに落とされて三年も監禁され続けているとは。私は彼を見つけ、インタヴューをすることが、充分な利益になると踏んだ。

 

取材の経過とあらまし

 

私は、自室に保管してあるはずの、富安のホームぺージを印刷したファイルを、ほとんど家宅捜索の要領で探し出し、最後の写真を見た。地方銀行の名前が写り込んでいることをうっすら覚えていたのだ。該当銀行が兵庫県の銀行であることを確認すると、私はすっかり散らかり果てた部屋から、必要なものを根こそぎ掻き集め、着の身着のまま部屋を出たのだった。

 

兵庫県に向かう電車の中で、さっそく電話番号の持ち主を照会するために動いた。兵庫在住の知人の記者の伝手を頼ったのだ。彼の伝手とは警察なのだが、絶対に事件にはしないでくれというどこか矛盾した依頼でそのぶん非常に高くついたが、当時はこういうことが金さえ払えばいとも簡単にできた。携帯の持ち主は芝野武という暴力団の男だった。簡単すぎて拍子抜けする。これで事務所の住所も分かったし、暴力団組織としてはほとんど末端の組であることも分かった。あとは兵庫で降りてタクシーを呼び、事務所に向かうだけだった。さらには向かってどうするか、いくらでも考える時間があった。

 

兵庫に着くと、携帯ショップで携帯と大量の電池パックを買い、コンビニであんぱんと牛乳を買った。そうしてたったの4時間後、私は足の速い男の落とされた糞貯めの目と鼻の先にいたのである。

私はフリーのジャーナリストであったが、税理士の免許も持っている。税金に精通していることは取材に大いに役立つのである。なぜなら税金を減らしたくない人間など、この世に一人もいないからだ。税金のプロとしてお手伝いできることがあるかもしれないなどと宣えば、事務所に入ることも容易だった。反社会勢力がきちんと税金を払っていることに驚く人ももしかしたらいるかもしれないが、彼らほど税金払いの良い組織はどこにもないのである。さて事務所はそこそこに大きく、てらてらと黒光りする革張りのソファーや、吠える熊のはく製などの悪趣味が際立ち、えげつない事で稼いでいるなあという印象があった。組長を待つ間、私は便所を借りて、その深淵を覗いてみた。この漆黒が地獄の淵かと感慨に耽る間もなく、さっそくあんぱんと牛乳を落としてみる。水音の跳ね返りからして、おそらく2メートル以上の高低差があると思われた。汲み取りをしたばかりなのだろうか。耳をすましてみるが富安の気配はなかった。ズボンのチャックを開けて小便をしながら、携帯と電池パックの入ったビニールの包みもそっと落とした。ボチャンという音が思っていたよりも盛大で少々肝を冷やしたが、近付いてくる組員の気配も感じられない。この世に税理士ほど無害な人間はいないからだろう。とにかくこれで富安は、人間らしい食事と、私との通信手段を手に入れたはずだが、同時に少し不安にもなった。堅気の税理士が便所に入っているのに、富安はその窮地を知らせるでもないし、そもそも堅気の人間を簡単に便所に行かせたという事実が、富安がここにはいない可能性を示唆しているのだ。とはいえ、いつまでも便所にこもっているわけには行かず、手も洗わずに部屋に戻った。

 

組の帳簿は案の定どんぶり勘定で、湯水のように税金を徴収されていた。私はいくつかの改善できる要点を示し、できれば顧問として雇ってもらえないだろうか打診した。すると一か月の試用期間を提示されたため、これを了承して引き上げる。

 

このときからおよそ三か月に渡り、私は富安との接触を続けることで、富安の人となりを知り、友情をはぐくんだ。その密な接触の内容は逐一ネット上に残してきたし、ノンフィクションの事件物シリーズの一作目として出版もしているが、当ブログではなぜだかアマゾンのアフィリエイトに落とされたため、リンクを張ることがどうしてもできない。気になる方がいれば各自「富安健一糞尿の底から叫ぶ絶望の記録」を検索して購入してほしい。ここに書いておきたいのは、富安という男に起きたすでに終わった事件ではなく、かつて本に書くことのできなかった、彼に起こった事件が周囲に与えた影響のあらましなのである。

 

芝野武という末端構成員

芝野は事務所の便所掃除をする末端の構成員である。もちろん糞貯めに富安という堅気の男がいることも知っているが、何をしたためそこにいるのかもきちんと理解している。では何故芝野は携帯を落としたきりそのままこれを放置したのだろうか。おそらく、電波の入らない糞貯めで、Iモードが使えるという事実に蓋然性を感じなかったのだろう。私も何故そういった不可思議なことが起きたのか今でも分からない。電波の特殊な反射が生んだ特定の条件が、極めて局所的にIモードを使用可能にしたのだろうというしかない。この状況は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」にあまりに酷似している。地獄に垂れ下がる蜘蛛の糸と、糞貯めに垂れ下がるIモードの糸。富安の存在が芝野という男に与えた影響は限りなく無しに等しい。せいぜいサンポールの使用量の一滴二滴の誤差しかないのではないだろうか。それくらい芝野は、糞貯めにいる富安という男に、いっさいの関心を持っていなかった。

 

富安はなぜ奇行に及んだのか

 

富安は将来を嘱望された陸上選手であった。しかし膝には確実な故障の芽があり、それを取り除く手術に彼は及び腰だった。富安がいうには、手術代はあまりに高額で、それほどの負担を親に敷いてまで陸上を続けるという重圧に耐えられなかったということだ。そうして陸上を諦めた富安は、反社会的な不特定の人間に対して自らの能力をひけらかすことで、自尊心を取り戻そうとしたのではないだろうか。しかしそれが仇となり、人間的な生活をも失い、生産的で能率的な平凡な未来すら失ってしまった。

 

富安の両親の思い

事件後、私は富安の両親に会いに行った。富安の語りと、富安の両親の語る息子の人間像の齟齬や、個々の記憶の解釈に興味があったのである。

一人暮らしの私の部屋とたいして変わらない貧相な部屋だった。あらゆる形状をした箸置きが玄関に雑然と積み重なりながら飾られていたのが意味不明で、強く印象に残っている。何故富安は手術を受けなかったのかという私の質問に父親は肩を落としながらこう答えた。

「単純に自信がなかったのではないかと思います」

母親は涙ながらに頷き、はからずも私はもらい泣きをしてしまったが敢えて反論する。

「彼の実力は本物でした。富安にも自信があったようですよ」

嗚咽を伴った私の言葉に母親ははっと顔を上げ、不満そうな表情を露わにした。父親が続けた。

「あれはね、もともと病院嫌いでね。手術後に完全な状態に戻るという保証はどこにもなかったし、それがなにより不安だったのだと思います」

後続の私の涙は、なにか義憤のようなものへと変質しており、つられて語気も強まる。

「けれども、彼には陸上しかなかった。スポーツ推薦で入った大学で陸上を辞めたら、とうぜん大学も辞めざるを得ないでしょう。社会に対する不安だってありましたよ。陸上を辞めるという絶望と、なんにももたない凡庸な自分が社会に相対するという過度な不安が、彼をあんな奇行に走らせたのでは?」

「そんなことはない。健一は居酒屋のバイトで頑張っていたし、もしかしたら社員になれるかもと明るく話していた矢先だったんだからね」

「では、ご両親は彼の行動に対して、何ら責任を持たないと思っておられる?」

「私らに責任があるとしたら、健一を信用しすぎていたということでしょうね。もっとあいつの変化に注意を払ってやれば良かった。それに関しては数えきれないほどの後悔をしましたよ。なあ?」

母親が何度も頷いた。

私は部屋を見まわしながら聞いた。

「ご子息は普通失踪ということで、失踪後7年後に失踪宣告の申し立てを行い、保険金が下りたという話ですが、本当ですか?」

「本当です。健一は法的には死亡したという扱いですが、私はどこかで元気にやっていると思っていますよ」

母親が咽び泣きながらも続ける。

「ええ、きっと元気です。本当に、親孝行な息子で」

私は礼を言って、面会を終えた。

ほとんど廃屋のような一軒家の狭い駐車場に、ぴかぴかのBMWが駐車してあるというのはある種異様で、私はそれを写真に収めながら、今も糞貯めにいるかもしれない友人、富安をふと想った。