虫の息ブログ

生きているだけで、虫の息

キズナアイ騒動に見られる弾圧は、男性性への過剰で不当なバッシングではないか

 

男は三本足で歩いている

 男という哀れな生き物を表すのに、これほど核心に迫った言葉がかつてあっただろうか。この一文を読んだとき、にわかに僕はうずくまり、真理に震えてしばらく悶絶することとなった。フランスの作家ミシェル・ウエルベックが書いた小説「ある島の可能性」の一文である。

 

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 つまり、男にとっては、女が女であるというたったひとつの理由だけで、なにものにも代えがたい価値があるものなのだ。よっこらせと三本足で歩く動物に、「みっともない、二本足で歩きなさいよ」と女が諭すのは、男性性そのものにたいする不当なバッシングでしかない。ならばと冴えない男たちは、苦渋と辛酸の果ての二次元に理想の女性像を産み出した。その末路がいわゆるキズナアイ的な、創造された偶像の産物なのである。しかしそれすら完膚なきまでに否定されるという昨今の現状は、ほんとうにむごたらしいし、ほとんど地獄絵図にすら見える。

 

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 また巷では、女を商品として見るなといわれたりもするが、女性性に価値がある以上、とうぜん女には商品性がある。キャバクラや風俗が世の中から決してなくならないのは、そこにたしかな需要があるからだ。アホな男を精神的に、または肉体的に気持ちよくしてくれる、女性の価値を正当に用いたまっとうな職業の名誉を毀損するのは、甚だ間違っている。これらは至極単純な生物学と資本主義の原理なのであり、女性の能力に対する不当な社会の抑圧や弾圧と戦うフェミニズム運動の文脈とは切り離して考えるべきだ。

 

エマ・ワトソンは言った

 「男のためにアホのふりする必要はないのよ」

これは、まさしくその通りである。男は三本目の足を引きずって歩くような究極のアホなのだから、わざわざ女がアホのふりをする必要なんて一切ない。しかし、自分より背の低い男を敬遠する女性がいるように、自分より賢い女性を敬遠する男性がいるくらいの自由はあっていい。しかしこれをエマ・ワトソンがいうのはどうなのか。彼女のなにやら均整のとれた精巧な顔立ちだけ見ても、女性としての価値のたしかな優位性が見受けられる。僕が女性だったら「お前がいうな」と憤慨していることだろう。僕は二枚舌の共感を示すよりも、この一例のように本心を女性に伝えて明らかに損をするので、もしも女性がアホのふりして得するような状況にあるなら、精一杯アホのふりをしたほうが得なのではないかと思う。もちろんアホのふりをする余地があるならばだが。

 

 

 

やがて男は滅びる

 男だけが持つY染色体の欠陥が460万年後に男を滅ぼすという説がある。これが本当なら男はやがて地球上からいなくなるのだ。アホだ下衆だと蔑んでくれていい。ただ、すこしだけ憐れんでほしい。

三本足で歩く男を尊重し、まるっと許容することを、これより試みてみても遅くはないと思うし、その歩み寄りの姿勢こそがこれからのフェミニズム運動の根幹を支える力になるのではないだろうか。

 

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なにより男たちが、みっともない自らの血気盛んな暴れ馬の存在を認識し、これを諌めながら注視していかなくてはならない。