東国原秀夫は冤罪なのか
プレバトの俳句を録画して見ている。もうずいぶんそうやって長い事見ているが、一向にまともな俳句が詠めるようになってくれない。毎回出題されるテーマに沿って、妻とふたりでそれぞれ一句はつくってみるのだけれど、主観的にも客観的にも俄然本物の才能なしなのである。僕にはまるで詩心がない。また季節の移ろいを慈しむような繊細な情動もない。ちなみに妻の詠む俳句も、思わず耳を塞ぎたくなるほどにひどい。にも関わらず、夫婦揃って俳句が面白いと感じているのは、東国原秀夫の仕業によるところが大きい。ほとんど彼のせいで我々は俳句の魅力に囚われてしまったといっても過言ではないのである。彼の凄みを物語る俳句を厳選してここにみっつだけ紹介します。
草茂る 洞窟のこと 他言せず
野良犬の 吠える沼尻 花筏
調停の 席着く妻の サングラス
このように、奥行きのある物語が鮮明な情景とともに立ち上がってくる感覚があるものが多く、僕はその度に度肝を抜かされるのだった。
そのような東国原秀夫の俳句に対する盗作疑惑なのだから胸がしくしくと痛い。彼の番組内での批評の正確さなどを鑑みると、とうぜん盗作などしているわけがないと察せられたし、なあにこれからも変わらずに続けていって、堂々と身の潔白を証明して欲しいものだと考えていた。
しかし、次に紹介するのが、盗作疑惑後初の収録での俳句である。
ラジカセに憑く 幽霊の 呻き声
これが酷い。幽霊がラジカセに憑くとか凡庸を通り越して稚拙の極み。僕の中でむくむくと盗作疑惑がふくれあがった俳句です。次は、
星月夜 赤ちゃんポスト 動きをり
これもなかなかに酷い。彼の俳句への批評性が緻密であるからこそ、逆に新たな嫌疑の材料となってしまう。もしかして盗作疑惑をはらすために、わざと下手くそにやっているのか?という嫌疑だ。だとするならば、俳句と自身の才能にたいするあまりに罪深い冒涜ではないだろうか。
なぜならこの合間の収録での句が、先に紹介していた
草茂る 洞窟のこと 他言せず
なのだから、この異様な振れ幅には首を傾げるしかない。盗作疑惑なんかよりも、わざと下手くそ疑惑のほうでほとんど書類送検に近いと思えてこないだろうか。
さて次に俳都をテーマにした俳句で、氏が詠んだのが次の句です。
鰯雲 仰臥の子規の 無重力
これは凄い。まさかこの硬質で重厚な文字の連なりから、ふわふわとした幽体離脱的な浮遊感を得られようとは。僕は小林泰三の「酔歩する男」を緩慢に思い出すことになった。アルコールを飲めないのに、酩酊を知らないのに、文字の連なりだけに酔わされた幼い頃のあの感覚に、たった17文字の俳句が肉薄するというのはほとんど驚異的である。
もうね、盗作疑惑のことはすっかり忘れて、また堂々と自由に俳句をやってほしいなと切に願います。そして二度と、わざと下手くそ疑惑が産まれるようなへんてこな俳句を詠まないでほしいものです。
僕も俳都をテーマに一句詠んでみますか。
俳都へと 行くかと問われ はいと言う