虫の息ブログ

生きているだけで、虫の息

私の11月1日の日記にGoogleが詩情を込める

眠る間、鳥はまた起床する。

 

私は茶のポットによって水を不正に沸かし、3分の間ニッシンのカップヌードルに待つ。

 

これはリビング・ルームで下にボルトで締められる。

 

追跡に失敗するように私が吹きつける表情注視とケースはされない。

 

それは、何も、たとえこれだけがアカウントであることとそれの不行ないほとんどすべて変わらないからである。

 

誰もが行くので。

 

これは妻の好きなフレーズである。

 

誰もが行く。

 

それは、すべてのロジックを強化するわけではないにもかかわらずすべてのフィールドの中で最も強い弁証法である。

 

いわゆる神秘的肉は干渉なしでテレビボード、私に飛んで行く。

 

食物に浸されることは何についても真剣に悩まず、重要である。

 

私の妻は起床しはじめて、私の食事は、柱にもたれかかる間、軽べつされている面から判断される。

 

これは確かにされる。

 

そして、私は、意味を表していることでテレビボードとスープしたたりに貼られた神秘的な肉に見る。

 

私は、毎回それがそうであることであるけれども、私はうんざりする。

 

「私は行く 訪問 。」

 

私は家を話し、出る。

 

夜明けのコインランドリーは静かである。

 

私が洗濯屋を洗濯機に入れて、コインによってそれを回した時には、私は椅子に適切に座った。

 

次において座った女性は、疑わしい面から私を判断し、私は、座席をシフトする間言った。

 

「あなたはなぜ次において意図的に座るか?そんなに多く透明になるために

 

環境はまわりで目により表されたけれども、私は、それが、私が言ったことで程度ににであることではないと思った。

 

自身意識、非常に多くの過剰な人がいる。

 

 

 

フィートは作られて、洗濯機のパンフレットは見られる。

 

ファミリーの幸福な円は、洗濯機を中心に行うことをwhirlpoolingする。

 

嘘のにおいがする微笑み面は、すぐ泡に包まれて、私は消える。

 

私はよい広告を考える。

 

 

 

私は洗濯屋を取り出し、かごに詰める。

 

私の妻がベッドに戻った後に、私は家に帰る。

 

テレビボードに固着したカップヌードルおよび神秘的な肉の残骸は片付けられる。

 

洗濯屋は上に折りたたまれて、ため息に突き刺す間、丁寧に閉められる。

 

私はそれをし、ベッドに戻る。

 

私の息子は幸福であるようで、眠っている。

 

彼女はしわについての額を中間に知らせて、それは痛いようで、私の妻は眠っている。

 

私も見渡している。

 

私は、すべての汚れが完全にこすり落とされることを願うけれども、。

 

 

 

 

 詩情のない原文はこちら

mushinoiki.hatenablog.com

 

 

 

11月1日の日記

鳥も寝ているうちに起きる。

ティファールのポットでお湯を沸かし、日清のカップヌードルにかけて3分待つ。

リビングでこれを掻き込む。

ふうふうと熱を逃がすために息を吹くなんてことはしない。

ここだけの話、あれをしなくてもほとんどなにも変わらないからだ。

みんなやっているんだから。

これは妻の口癖だ。

みんなやっている。

あらゆる論理を強化しないのに関わらず、あらゆる分野で最強の弁証法だ。

いわゆる謎肉がテレビボードに飛ぶが、私はお構いなしだ。

何も気にせず、ひたすら食に没頭することに意味があるのだから。

妻が起き出して柱にもたれながら、私の食事を蔑んだ顔で見る。

必ずこれをする。

そして、テレビボードにはりついた謎肉と滴る汁を意味ありげにみやる。

毎度のことながら、私はうんざりする。

「行ってくる」

と伝えて、家を出る。

 

明け方のコインランドリーは静かだ。

私は洗濯物を洗濯機に入れコインで回すと、適当に椅子に座った。

隣に座っていた女が怪訝な顔で私を見て、席をずらしながら言った。

「なんでわざわざ隣に座るの?こんなにすいているのに」

私は周囲を見渡すが、いうほどのことではないだろうと思った。

自意識過剰の人間が多すぎる。

 

足を組んで、洗濯機のパンフレットを見る。

洗濯機を中心に、家族の団らんが、渦を巻いていく。

嘘くさい笑顔が、やがて泡に包まれていって消える。

良い広告だと思う。

 

私は洗濯物を取り出して、カゴに詰める。

家に帰ると、妻は寝床に戻っていて、

カップヌードルの残骸と、テレビボードについた謎肉とが片付けられている。

溜息をつきながら洗濯物を丁寧に畳んで、しまう。

そうして私も寝床に戻る。

息子は幸せそうに眠っている。

妻は眉間に皺を寄せて、苦しそうに眠っている。

私も目を瞑る。

なにもかもがすっかり洗い流されることを願いながら。

上田岳弘「私の恋人」の書評と雑感  

 

タスマニアは、彼らの人間の肖像にもかかわらず、完全に50年の間に、ヨーロッパからの移民によって繰り広げ絶滅の戦争で消滅するので流された。

 

「私の恋人」は、ウェルズの宇宙戦争の一節をGoogle翻訳にかけて生まれた上記の奇妙な文章から着想を得た小説である。この当時Google翻訳はとてもいい仕事をしていたといえるのだが、現在は翻訳の質も上がってしまい、下記のようになってしまった。

タスマニア人は、人間の姿にもかかわらず、50年の間、ヨーロッパの移民によって撲滅された戦争で完全になくなりました。

 

これでも優れた翻訳であるとはおよそ思えないが、しかし、これでは「私の恋人」は確実に産まれないので、危ないところだったのではないかと思う。

 

限りなく余談であるが、最近間違って僕のはてなのブックマークをお気に入り登録してくれたオースティンバーグという外国人がいるのだが、興味本位で彼のブログ記事をGoogle翻訳にかけてみたとき、このような魅力的な文章が現れたことを紹介したい。

 

準備はできたか?

彼らはひびがはいった苔むした舗道に立っていた。明るい青色の岩とセメントの塊が洞窟の周りで崩壊し始めたので、それらの上の天井の雲がぎこちない。世界が終わりに近づくにつれ、周りからの激しい衝突が起こった。

 

こんな風に、今でもGoogle翻訳はとびきりよい仕事をするのである。

とくに、天井の雲がぎこちないという部分に詩情を感じる。

 

本来の文章は英語なので僕はそれを理解することはできないが、AIが詩情を持つという可能性を示唆したこれらの文章は興味をそそります。はたして今後の人類の発展にたいしてAIはどのような相互性と意味を持つのだろうか。

僕はもともと詩情とまとまりのないGoogle翻訳っぽい文章を書くが、Google翻訳に引き摺られるように、さらにGoogle翻訳っぽい文章になってしまった。Google翻訳でなにか面白いことができるかもしれない。

 

 個人的には、AIが人類の座にとって代わるようなことが起こるとは思っていない。AIが自我を持つことは今後もないだろうし、そもそも彼らは人類の覇権を奪還しようなどと意味のないことは考えない。しかし、AIに人類の意志や思考や倫理が代替されるということは十分あり得ると思うし、実際そうなりつつあるのではないかとも思う。

 

もしAIが人類の覇権を奪還しようと画策したなら、それは人類の覇権を人類の手から奪還せよという命令が人類によって与えられたときでしかないだろう。そうしたコードを書き、エンターキーを押すことが、人類にとって正義なのか悪なのか、僕には分からない。

 

さて「私の恋人」である。

Google翻訳によって産まれた「繰り広げ絶滅の戦争」という言葉から、作者は想像の大風呂敷を広げていったのだが、これがじつに面白い小説となった。なによりこの小説が面白いのは「私の恋人」という想像の産物に、人類の理想や希望が託されていることで、またそれらが我々人類のもつ愛というほとんど形骸化した概念と密接に繋がっていることではないだろうか。つまり作者は人類を冷徹に眺めてはいるが、人間性の根源のどこかに微かな希望を持っていて、しっちゃかめっちゃかの思考錯誤を日夜繰り広げているといえる。この試みが面白くない訳がないのである。

 

人類の希望を託されたキャロライン・ホプキンスは、反捕鯨活動に勤しみ、「かわいそう」の中心を拡げていくことで、人類を救えるのではないかと考える。またテロリズムに要求されるだけ、身代金を払いまくり、貨幣の価値をなくすことで、新しい人類の価値観が産まれるのではないかなあなどと夢想したりもする。この小説は、そうした思考の行き止まりへの旅なのだ。

 

僕としては、人間とはとっても卑小で猥褻で俗悪な生き物であることを自覚することがはじめの一歩だと常々思っているのだが、なぜだか人類は人間がこれからも発展し続けるにふさわしい、高等で高尚な生き物であるという考えを決して捨ててはくれない。社会のもつ過剰な忖度による不寛容さは、我々数十億のビッグブラザーによる監視によってもたらされている。それらが差し出してくる倫理は、本来の人間的なものとはかけ離れてきている。なにしろ男が女を好きで、女が男を好きであるという根源的な事実すら、否定されはじめるような、しあさっての道徳なのだ。僕はこのあまりに脆弱なはりぼての均衡にこそ不安を抱いてしまう。

 

ならば、人類が文明を継続的に維持していくために必要なことはなにかをAIに聞いてみるしかないのかもしれない。いったい彼らはなんと答えるのだろう。人間の考えた合理化、効率化の3週目の旅の果て近くが、現状の有様なのだとするなら、人間の表層の利害とは隔絶したAI的な観点がこれからどうしたって必要になってくるのかもしれない。